原文
宗旨送り一札之事
一拙村半右衛門悴為五郎當年廿六才ニ相成候者
宗旨之義切支丹等之邪宗門ニ而ハ曾而無之
代々 浄土真宗本願寺下拙寺門徒ニ
紛無御座候然ル処此度其御村方長兵衛へ
養子ニ参候ニ付親共ゟ宗旨送り願出候間
任本意拙寺宗帳相除申候依而向後
貴寺宗帳ニ御加入可被成候尤於拙寺
何之故障無御座候為後日一札依而如件
河州若江郡
新庄村
天保十一子年霜月 浄國寺
摂州西成郡
藤野田村
圓満寺殿
書き下し文
宗旨送り一札の事
一拙村半右衛門悴為五郎当年二十六才ニ相成候者
宗旨の義切支丹等の邪宗門にては曾而無之
代々 浄土真宗本願寺下拙寺門徒に
紛れ無く御座候 然るところ此度其御村方長兵衛へ
養子に参り候に付 親共より宗旨送り願い出候間
本意に任せ拙寺宗帳相除き申し候 依って向後
貴寺宗帳に御加入成さるべく候 もっとも拙寺に於いて
何の故障無く御座候 後日の為一札依って件の如し
河州若江郡
新庄村
天保十一子年霜月 浄國寺
摂州西成郡
藤野田村
圓満寺殿
解説
一八四〇(天保十一)年十一月に河州(河内国)若江郡新庄村の浄國寺よりいただいた人別送り状です。
摂州(摂津国)西成郡藤野田村圓満寺宛となっています。
新庄村の浄國寺檀家半右衛門の息子為五郎(廿六才)が拙寺檀家野田村の長兵衛の養子に
なるにあたり拙寺檀家への加入を要請するために記された送り状です。
間違いなく浄國寺の檀家であり、キリスト教徒でもなく何の問題もない人物であると記されています。
なお、浄國寺は東大阪市新庄に実在する浄土真宗本願寺派(お西)の寺院です。
三年前の二月には大阪で大塩平八郎の乱が勃発し、乱後の混乱が続いていた時期にあたります。