圓満寺の宝物

宝物 御本尊

圓満寺の宝物

野田村廿一人討死證如上人御消息

御文箱と御書
證如上人御真筆野田門徒宛御書(御消息)

解説

泉州へ逃げられる船中でしたためられたといわれ、短文の書状となっている。
花押の形状により證如上人の初期書状とみられ、門主からの門徒宛の感謝状形式の書状は少なく貴重な書状である。
年が記されていないが、1533(天文2)年説と1532(天文元)年説の二つの説がある。
なお、この書状の写しが数点全国各地(福井県・茨城県・広島県等)に存在している。いずれも江戸時代に広がった写しとみられこの書状の重要性が認められる。
野田惣中へ  証如
今日のかツセんに廿一人
うちしにのよし、いた
はしさセひにおよは
す候 しかれとも
しやう人の御かたを申
され候。たのもしくあり
かたく候。うちしにの
かた  は こくらく
のわうしやうをとけられ
候ハんする事 うたかい
なく候。いよ  ちそうた
のミ入候。此よしうちしに
のあとへも つたへられ候へく候。
あなかしこ

八月九日    証如(花押)
野田惣中へ

方便法身阿弥陀如来御画像

解説

圓満寺のスタ-トである野田村惣道場へ證如上人より下賜された御本尊。裏書には【大谷本願寺釋證如(花押) 天文三歳甲午十二月廿五日 摂津国西成郡中嶋 野田惣道場物也】と記されている。この御画像は1534(天文3)年12月25日に下賜された御本尊である。当時野田村門徒が礼拝していた御本尊である。阿弥陀如来のお顔の形状等当時の仏画様式を忠実に描いている。(画像部分縦950㎜×横390㎜)

方便法身阿弥陀如来御画像(小幅)

以上3点は2003(平成15)年大阪市教育委員会より大阪市有形文化財に指定されました。

御本尊

七高僧御画像
蓮如上人御画像
御本尊(阿弥陀如来木像)
親鸞聖人御画像
聖徳太子御画像

御本尊(阿弥陀如来木像)は1754(宝暦4)年本願寺より拝受
親鸞聖人御画像・蓮如上人御画像・七高僧御画像・聖徳太子御画像の四点は1759(宝暦9)年 本願寺より拝受