圓満寺の宝物
野田村廿一人討死證如上人御消息
解説
泉州へ逃げられる船中でしたためられたといわれ、短文の書状となっている。
花押の形状により證如上人の初期書状とみられ、門主からの門徒宛の感謝状形式の書状は少なく貴重な書状である。
年が記されていないが、1533(天文2)年説と1532(天文元)年説の二つの説がある。
なお、この書状の写しが数点全国各地(福井県・茨城県・広島県等)に存在している。いずれも江戸時代に広がった写しとみられこの書状の重要性が認められる。
野田惣中へ 証如
今日のかツセんに廿一人
うちしにのよし、いた
はしさセひにおよは
す候 しかれとも
しやう人の御かたを申
され候。たのもしくあり
かたく候。うちしにの
かた は こくらく
のわうしやうをとけられ
候ハんする事 うたかい
なく候。いよ ちそうた
のミ入候。此よしうちしに
のあとへも つたへられ候へく候。
あなかしこ
八月九日 証如(花押)
野田惣中へ